私が前職の放送局を辞めたのが2010年、27歳の時。
それからはとにかく中国との商売をしたくて、色々やり散らかして、失敗し続けました。そこでたどり着いたのが、Facebook。中国では閲覧禁止だけど、台湾では最も見られているSNSであるFacebookが、いまの観光事業展開の契機となりました。
当時はSNS黎明期、YouTuberもInstagramerもTiktokerもまだまだ居なくて、日本人で顔出し・名前出しで日本の情報発信をする”網紅(インフルエンサー)”はいませんでした。そんな折、期せずして2012年に、日本と台湾の間でオープンスカイ協定が締結され、航空行政に関わる規制が撤廃。そこから訪日台湾人は激増することになります。
その機を捉えようとFacebookページを元に「ラーチーゴー!日本」を作り、広告をセールスしようとしたのですが、これが全く上手くいかない。助けてくれたのは、前職の先輩と、前職でお世話になった広告代理店でした。
そこから12年、コロナ禍はほんとに地獄でしたし、まだまだダメージは癒えてませんが、↓で「数日で1000人弱!」と喜んでいたフォロワーはいま80万人、「ラーチーゴー!日本」の月間ユーザは250万人(繁体中文圏である台湾&香港を合わせた人口は、約3,000万人)になりました。
「天地人」という言葉があります。すなわち、天の時・地の利・人の和です。
テレビマンを辞めて七転八倒したものの、まだインフルエンサーがおらず、まさにインバウンドが盛り上がらんとする2011年の「天の時」、中国大陸ではなく台湾という「地の利」、そしてフォロワーや旧知の先輩&広告代理店さん、何より社員やお客様という「人の和」があったと、これは感謝しなければいけないと今になって思い返します。
「天地人」とは本来、孟子の「天時不如地利。地利不如人和」(天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)から来ていて、それを軍事戦略に採り入れたのが上杉謙信(だから直江兼続が主人公のNHK大河のタイトルが天地人?)と言われますが、商売も同じだと感じます。
何をやるにも、いつやるかというタイミングが大事、どこでやるかはもっと大事、誰とやるかは一番大事。