知らない人が結構多いみたいですが、トルコは日本と非常に深い絆のある友好国で、「世界一の親日国」とも言われます。
そのへんの話はこちらのまとめをご参照ください。
さてそんな日本とトルコの友好的な関係ですが、その原点を築いたとも言える出来事が、いまから125年前の9月16日(まさに昨日!)にありました。
エルトゥールル号事件。
1890年、日本の和歌山県沖を航行中のトルコ(当時はオスマン帝国)の軍艦「エルトゥールル」が、台風のなか遭難。和歌山県串本町のひとびとが懸命に遭難者の救助に当たり、日本政府は生き残った乗組員たちを日本海軍の艦艇でトルコまで送り届けました(この艦艇には若き日の秋山真之が乗艦していたというエピソードも)。この時の串本町民の対応は非常に献身的であり、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、生存者たちの救護に努めたという記録があります。(wikiより)
この出来事がきっかけで、トルコと日本に友好的な関係が生まれました。
それから95年後の1985年、今度はトルコが日本を助ける大きな出来事が起こりました。
テヘラン邦人救出事件
イランイラク戦争の停戦協定が突如破棄され、イランの首都テヘランが空爆が開始されました。住宅地区への空爆も激化し、諸外国が自国民のイラン出国を急ぐなか、日本は政府の対応が後手に回ってしまい、テヘランには多数の日本人が取り残されてしまいます。もちろん自衛隊機を派遣することなど当時の法制下ではできません。日本政府は日本航空に航空機派遣を依頼しますがJALは「イラン・イラク両国からの安全の保証がない限り飛行はできない」と回答、絶体絶命の危機が訪れました。
そんなとき救いの手を差し伸べてくれたのが、トルコでした。当時トルコは自国民のイラン脱出を進めている最中でしたが、日本のためにトルコ航空の飛行機を手配してくれたのです。イランには脱出を待つ多くのトルコ人がいましたが、「日本のために飛行機を飛ばす」という方針に異論を唱える人は誰もおらず、「エルトゥールル号の借りを返すとき」という意見が多くの国民、政府から上がったと言います。結果、日本人数百名はトルコ航空の飛行機によりテヘランを脱出、イランからトルコ上空に入ったときに機長からアナウンスされた「Welcome to Turky」の言葉に、乗客は涙したという記録があります。
日本とトルコの深い絆を育むきっかけとなったこの2つの出来事を題材にした映画が、この冬公開されます。
「海難1890」
東映さんの映画です。トレーラーだけで泣ける。
公式パンフレットには両国首相のメッセージ!!!
この映画が日本とトルコの新たな友好のきっかけとなることを祈念しております!!!